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2021.11.24
11月24日 文化の香り「近代登山や避暑地を開拓した宣教師たち」Ⅱ
秋を迎え映画、音楽、読書に少しでもご参考にと思いお届けしてきた「文化の香り」も、冷え込む季節となり、クリスマスを迎えることになりますので一旦閉じさせていただきます。

わたしたちの日常は政治や経済が話題になることが多いですが、文明を培うのは人間の文化の営みです。そしてその文化を支えているのは自然、地球です。コロナ禍で園芸や家庭菜園、ソロキャンなど精神を大切にし、心の豊かさを求めている人々の祈りを感じます。
これからも不定期で「文化の香り」お伝えしていきたいと思います。
「近代登山や避暑地を開拓した宣教師たち」Ⅱ

アレキサンダー・クロフト・ショー(カナダの宣教師)

「避暑地軽井沢誕生」の秘話
1886(明治19)年 初めて軽井沢を訪れ家族、友人にその素晴らしさを推奨
1888(明治21)年 簡素な別荘を建てる
1893(明治26)年 初めて日本人所有の別荘が建つ

明治時代、海外からの宣教師にとってキリスト教伝道以上に厳しかったのは日本の温暖湿潤な気候でした。特に梅雨を乗り越えることは並大抵ではなく体を壊し帰国する宣教師も少なくありませんでした。軽井沢開拓のきっかけとなった宣教師ショーも持病のリウマチをいやす地を求めて軽井沢に至ったのでした。彼は宣教師であると共に、福沢諭吉の子どもたちの家庭教師、また慶應義塾で英語を教えていた「お雇い外国人」でもありました。

◆参考リンク:アレキサンダー・クロフト・ショー(ウィキペディア)
アルフレッド・ラッセル・ストーン(カナダの宣教師)

信濃の農村伝道に捧げた宣教師 ~野尻湖
1920(大正9)年  北信濃、妙高山と黒姫山の麓、野尻湖に外国人別荘地が広がり始める
1926(大正15)年 来日、以後戦時中の帰国を挟み、戦後も農村伝道、また静岡の地においても児童養護のため献身された。

軽井沢の喧噪を逃れた宣教師たちが、北信濃の野尻湖に新たな避暑と修養の地を拓きました。先の宣教師たちを引き継ぎストーン宣教師は農村開拓と共にルバーブのジャム作りなども伝授しました。しかし1954(昭和29)年、函館から青森へ向かう青函連絡船「洞爺丸」が嵐の中沈没する事故に遭遇し、海面を漂うストーンは自らの救命胴衣を近くにいた子どもに着せ北海に散ったのでした。三浦綾子『氷点』にも描かれています。

◆参考リンク:アルフレッド・ラッセル・ストーン(ウィキペディア)

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